マチネタ
- 112号:マチネタvol.54
- 発行日:2025年04月30日
今回は静御前の伝承を紹介します。
静御前の伝承
茨城県古河市や埼玉県久喜市栗橋には静御前にまつわる伝承や遺跡が数多く残されています。静御前は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟である義経が最も愛した白拍子でした。白拍子とは、白い水干と烏帽子を身にまとい、神仏に舞を奉納する女性芸者で、遡ると巫女舞が原点ともいわれています。義経記には、後白河法皇が雨乞いの儀式で百人の白拍子を集めて順番に祈祷の舞を行いましたが雨は降らず、最後に静御前が舞うとたちまち黒雲が現れ、3日間雨が降り続き、法皇より日本一と称されたと記されています。


平家追討の総大将として各地で戦功を挙げ、壇之浦で平家一門を滅亡させて京都に凱旋した義経でしたが、やがて頼朝に疎まれて朝敵として追われる身になりました。静御前は京都から落ちて九州へ向かう義経に同行しましたが、嵐で遭難し、吉野で分かれてしまいます。その後、奥州に逃れた義経を追って、古河の下辺見まで来たところで義経の死を知り、橋の上で思案して京都に戻る決断をしますが、栗橋で病に倒れて亡くなってしまいました。静御前が思案した橋は「思案橋」と名付けられ、現在も向堀川に架かる橋にその名前が残されています。栗橋には静御前のお墓があり、命日の9月15日には墓前祭が営まれます。また、古河市中田の光了寺には静御前の舞衣が残されているなど、静御前の伝承は地域の人々によって大切に守られています。


静御前の伝承(しずかごぜんのでんしょう)
住所:茨城県古河市、埼玉県久喜市