マチネタ

  • 111号:マチネタvol.53
  • 発行日:2025年01月31日

今回は栃木県小山市の小山乙女河岸歴史公園を紹介します。

小山乙女河岸歴史公園

河川を利用した物流は古くから行われており、特に江戸時代に入ると、河川改修工事と合わせて新しい河岸が設置され、河川交通の要衝として発展していきました。栃木県小山市を流れる思川は、江戸へ物資を運ぶ重要な手段として利用され、乙女河岸は物流の拠点として近接の網戸河岸、友沼河岸とともに栄えました。特に乙女河岸は弁才船の航行可能北限にあたるため、多くの積荷が集まる一大拠点として発展していきました。

徳川家康の会津征伐では、武器や兵糧を乙女河岸から陸揚げし、帰路は大雨によって栗橋の船橋が押し流されていたため、乙女河岸から乗船し江戸に戻ったとされています。これを吉縁として、日光東照宮の造営や修復の際には、その建築資材を陸揚げする役割を担いました。乙女河岸には3軒の河岸問屋があり、日光の御用荷物の他、諸藩や商人の荷物、周辺地域の年貢米の積み出し場として、重要な役割を果たしていました。

乙女河岸の歴史を伝える案内板

弁才船のモニュメント

江戸時代に発展した水運も鉄道輸送の発達によって衰退していき、乙女河岸は昭和25年(1950)を最後にその役割を終えました。河岸跡は小山乙女河岸歴史公園として整備され、その歴史を伝える案内板や船の石像が設置され、地域住民の憩いの場となっています。

対岸に雄大な男体山や赤城山などを望む

野木町(友沼)を流れる思川

小山乙女河岸歴史公園(おやまおとめかしれきしこうえん)
住所:栃木県小山市乙女


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