マチネタ
- 106号:マチネタvol.48
- 発行日:2023年10月31日
今回は栃木県栃木市の皆川城址を紹介します。
皆川城址
栃木市の中心部から北西に向かうと見えてくるのが皆川城址です。永享元年(1429)に皆川秀宗によって標高147mの山に築かれた山城で、その形から「法螺貝(ほらがい)城」とも呼ばれています。


皆川氏は小山氏の一門として、小山氏、結城氏と強い同盟関係にあり、その勢力を維持してきました。しかし、戦国時代になると北関東は越後の上杉氏と相模の後北条氏の二大勢力の利権争いに巻き込まれていきます。皆川氏をはじめとする小勢力は生き残りを図るために上杉氏や後北条氏に対して従属、離反を繰り返してきました。皆川家も例外ではなく、大平山城に立ち寄った上杉謙信を接待した記録が残されています。小田原征伐の際には後北条家に与した事で皆川城は豊臣方の上杉景勝に攻められて降伏しますが、徳川家康の取り成しによって豊臣秀吉に所領を安堵されました。その翌年に皆川家は拠点を栃木城に遷し、皆川城は廃城となりました。



皆川城址は市指定史跡として栃木市が管理しており、皆川城址公園として整備され、四季折々の自然を楽しめます。空堀や土塁といった遺構も多く残されており、山頂の本丸跡に設置された展望台からの眺望は、栃木市内や筑波山など広い範囲に及びます。整備の行き届いた公園ですが、本丸までの道のりは斜度が厳しく、体力を要します。
皆川城址(みながわじょうし)
住所:栃木県栃木市皆川城内町699