マチネタ

  • 104号:マチネタvol.46
  • 発行日:2023年4月30日

今回は茨城県境町の長井戸城跡を紹介します。

長井戸城跡

長井戸城跡は、長井戸香取神社境内にあり、南側には土橋や折れのある空堀が残されています。東側にも道路に沿って土塁や空堀が良好な状態を保って残され、北側にも土塁が見られます。

長井戸香取神社境内にある案内板

折れのある空堀

長井戸城の歴史は古く、天文年間(1531~1554)に古河公方配下の菅谷左京の居城であったと伝えられています。長井戸城は近隣の稲尾城と共に栄えていましたが、天文23年(1554)に関東の名門である小山氏に敗れて降伏しました。しかし、その小山氏も天正3年(1575)に関東支配を目論む後北条氏の攻撃を受け、一度は退けるも翌年に居城の祇園城(小山城)が陥落し、小山氏は滅亡してしまいました。天正5年(1577)に後北条氏は北関東進出の拠点として逆井城を築城し、長井戸城は、東西を結ぶ栗橋城、古河城から逆井城への中継地点として、また、南北を結ぶ関宿城から祇園城への中継地点として機能していたと考えられています。

東側の空堀

東側の土塁

その後、名胡桃城事件をきっかけとする豊臣秀吉の小田原征伐によって後北条氏は滅び、同時に長井戸城も廃城となってしまいました。一方で、かつての城主だった菅谷氏は、小山家の家臣として生き延び、朝鮮出兵や大阪の陣に参戦した後はこの地に帰農したと言われています。

長井戸城跡(ながいどじょうあと)
住所:茨城県境町長井戸


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