マチネタ
- 100号:マチネタvol.42
- 発行日:2022年4月30日
今回は古河市の古河城本丸跡を紹介します。
古河城本丸跡
かつてこの地に存在した、関東でも有数の規模を誇った古河城の本丸跡を示す石碑が、三国橋と新三国橋の堤防中間地点に設置されています。
古河城は、西側は渡良瀬川、残り三方は水堀に囲まれた要害でした。平安時代の末期に源頼朝に仕えた下河辺行平が立崎に館を築いた事が古河城の起源とされています。
室町時代から戦国時代にかけては古河公方の本拠として栄え、江戸時代には古河藩の藩庁が置かれ、城主は幕府の要人が努めました。徳川将軍の日光社参では岩槻城、宇都宮城と共に、宿城の一つとして利用され、幕府にとって古河城が重要な拠点の一つだった事が窺えます。

明治時代に入ると、廃城令によって建造物は全て取り壊され、残された曲輪や堀なども、渡良瀬川の洪水対策によって堤防や河川敷に変わり、城跡のほとんどが消滅してしまいました。
古河歴史博物館には、古河城の精巧なジオラマが展示されています。細部まで作りこんだ驚愕の完成度は一見の価値ありです。

古河城本丸跡(こがじょうほんまるあと)
住所:茨城県古河市桜町付近