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初期研修医 J2(令和6年度)
筑波大学卒業 / 茨城県出身
「ものごとを悪く考えても、良く考えても、結果は変わらないのなら、良いように考えようと子どもの頃から意識していました。そのほうが周囲にもいい影響を与えられるでしょうし」
どんな状況でもポジティブであることに自覚的なのは、大石の大きな持ち味だ。それは間違いなく大石ならではの“強さ”に通じる。
初期研修1年目、ローテーションの最初で大石は救命救急センターに配属された。当たり前のことであるが、大石は何もできなかった。最初に出会った心筋梗塞の患者様を前に大石は「オロオロするばかりで、無力感で一杯」だった。その後も次から次へと運ばれてくる多様な症状の患者様を目にして、果たして自分はやっていけるのかとさえ思ったそうだ。
だが、そこですぐに切り替えられたのが大石らしさ。
「逆にこの状況に慣れてしまえば、あとは怖いものはないんじゃないか、と考えたんです。やってやろうじゃないかと、モチベーションが上がりました」
それは大石のキャラクターによるところが大きいが、ポジティブさを後押ししてくれる環境があることも間違いない。救命救急センターで2ヵ月を過ごした後、他の診療科をローテーションする中で、大石は「自分にこの手技をやらせてほしい」と積極的に申し出ることを心がけ、指導医や先輩医師も「じゃあやってみろ」と快くチャンスを与えてくれた。
「自分に熱意と知識があることが伝われば、“No”と言われることはありません。消化器外科のオペも1年目で経験できました」
前向きな挑戦であれば力強く背中を押してくれるのが、茨城西南医療センター病院。1人ひとりと正面から向き合い、どんな質問にも丁寧に答えてくれる指導医の存在も大きい。さらにコメディカルとのいい意味でのウェットな関係も心地よく「距離が近いので何でも言い合えて、スムーズなチーム医療ができる」ことも、大石のポジティブな姿勢を応援してくれた。
こうした環境で初期研修医の1年目を過ごしたことで、大石は着実に技量を磨き、医師として大きく成長できた。それを実感したのは2年目の春に再び救命救急センターに異動したときである。
「自分にできることがすごく増えていると感じました。同時に1年前の自分は、やっぱり何もわかっていなかったと、改めて知りました。そんな手応えを感じながら日々を過ごしています」
成長の喜びこそ、次の成長への原動力。大石はこれからのさらなる成長を楽しみにしている。
将来の目標は外科医だ。
「市中にいくか、大学に残るか、まだわかりませんが、大学院への進学を挟みつつ、今後10年で進む道を決めたいと思います。外科医は全国的に少なく、がんの手術等でこの地域の人々に貢献できたらと考えています」
大石が医療の道を志したのは、重い障がいをもって生まれてきた従兄弟の存在がきっかけだった。今も意識なく伏せたままの従兄弟の横で、大石が医者になったことを話すと「笑顔になってくれた気がして、自分の言葉が伝わっていると感じる」そうだ。
そんなポジティブさも、きっと従兄弟には伝わっているに違いない。