産婦人科
筑波大学 医学群医学類 卒業 / 徳島県出身
2人目の子どもを出産後、野口が茨城西南医療センター病院に転じてきたのは、後期研修医時代の恩返しをしたいとの想いからだった。
「いろんな症例を経験し、たくさんの知識を吸収して、一番成長できたのが後期研修医の時代でした」
医学部時代、小児科か産婦人科かと迷っていた野口は、実習で分娩に立ち会ったことで産婦人科医の道を選ぶことを決心する。
新しい生命が声を上げる瞬間の感動は、やはり何ものにも代えがたいほど大きなものだった。そして後期研修医時代。野口は茨城西南医療センター病院で症例のシャワーを浴びる。
「たくさんの患者さまと一対一で向き合い、診断して、勉強しての繰り返し。当直の時はドキドキしながら一人で過ごし、緊急手術が必要な患者さまが運び込まれたときも一人で診断して、すぐさま応援の先生を頼んで手術に踏み切りました。若いときの一時期、多くの貴重な経験を積むことは、間違いなく大きな成長につながります」
その後、野口は大学病院に戻る。比較的ハイリスクの患者さまが多いのが大学病院の特徴。それはたいへんにやりがいのある仕事ではあったが、野口は次第に「幅広い年代の様々な症状の患者さまと向き合う、ジェネラルな産婦人科医になりたい」と思うようになり、茨城西南医療センター病院への異動を選んだのだ。
そして、ここで過ごすうち、産婦人科医としての次のビジョンが浮かんできたという。
「生理痛が重くても、更年期障害が辛くても、これまで女性は我慢を強いられてきたと思うんです。私は誰もが元気に社会に参加できるよう、女性全体の健康を支えられる医師になりたいと考えています。更年期の女性も、妊婦も、生理痛に悩む女子中学生も、誰もが気軽に頼ってくれる、そんな産婦人科医でありたいですね」
もちろんこれも野口にとっての新しい成長。
日々多くの患者さまと出会うことで新しい学びが生まれ、そして新しい道が拓けていくのである。